Snow*dAnce Macabre
瓦礫の街
「また、降り出したな」
傍らから聞こえた言葉と同時に、僕の頬にひんやりとしたものが触れた。
見上げれば、灰がかった空に、はらはらと舞う──"黒い雪"。
古びた高架橋にふたり並んだ、僕らの眼前に広がるのは、漆黒の雪に覆われた、瓦礫の街だった。
「──改めて見ても、凄惨なものだね。この街の残骸」
僕が思わず呟いた言葉に、傍らで手すりにもたれた僕の同僚──リオンは、石灰のような色の髪を揺らして、肩を竦める。
翡翠の宝石を思わせる瞳には、見下ろした街の有様を真っ直ぐに映し出していた。
「今更だろ」、と。
呟いた一言は、もう見飽きたのだといわんばかりに、素っ気無いものだった。
鎮魂都市レスクヴァ。そう呼ばれていたのは、もうずっと昔のこと。
かつては純白の石造りの家々が立ち並ぶ、緑の木々に囲まれた静かな街だったが、今となっては見る影もない。
半分だけ残った家の壁や柱が、ボロボロになって転がった家具達が、辛うじてここが街であったことを、弱弱しく主張し続けているに過ぎない。
街の北には、黒紫色をした巨大な"結晶の大樹"が、街を弔う墓石のように鎮座する姿が、ここからでもよく見える。
崩れ落ちた白に、真っ黒な雪のヴェールが覆いかぶさって、まるでそれは、街全体が喪に服しているかのような──
──いや、事実、この街はもう、死んでしまっているのだ。"十年前に起こった大厄災"で。
あらゆる生物が姿を消し去り、あの時のまま時間を止めたこの街に、漆黒の雪だけが今もしんしんと降り続ける。
それは、とても──寂しくて、物悲しい、終焉を物語る光景だった。
「ほら、そろそろ行こうぜ、クローズ。またサボってるって、あいつらにどやされる前にさ」
隊服である黒の長い外套には、金糸のラインがよく映える。
リオンはそれをフードまでしっかりと着込んで、やおら僕の肩を叩いて促がした。
……まあ、今の今まで、少しだけサボっていたんだけれども。
「君に付き合ってあげたんでしょう」僕が口を尖らせても、
「共犯だろ」、と彼は笑う。確かにまあ、その通りだ。仕方がない。
傍に置いた大剣に雪が積もる前に、背に担ぎなおす。
高架橋に足をかけて、僕らは街へと降り立った。
「そもそもの話。今更こんなとこ調査して、何の意味があるってんだ」
隣でぶつくさと文句を垂れるリオンを尻目に、黒い雪の積もる石畳を足任せに進む。
ところどころ剥がれた路面には折れた街灯も瓦礫も転がり放題で、歩きにくいものだ。
降り始めた雪は時折視界に映り込み、転々と描かれるふたり分の足跡を覆い隠せるほど強くはなかった。
感じる肌寒さは気温からくるものではない。それどころか、今の季節は秋に差し掛かったところで、未だ風は夏の残り香をまとう。
ここへ来る前は、青い絵の具を塗りたくったように晴れ渡っていた空も、今はどんよりと暗い雲を浮かべている。
陰気なものだ。そうして空を眺めるほど、足元の注意が疎かになれば、生者を地中へと引きずりこむ亡霊の手のように、転がったガラクタはすぐさま足を奪いにくるのだ。
ふにゃり、とやわらかいものがつま先に引っかかり、一瞬、歩調が乱れた。
亡霊の正体は、薄汚れてボロボロになった、何かの動物を模したぬいぐるみのようだった。
「不審者ったって、どうせ信心深い巡礼者か、廃墟あさりの盗人くらいなもんだろ。でなきゃ迷子の旅人だ。そういうのって王宮騎士団の仕事じゃねーの?
だいたい、オレらの仕事ってのは漆黒の雪の異変対策であって、人探しとかそういうのは分野じゃねーっつーか……なあ、クローズ。聞いてる?」
「聞いているさ。リオンが働きたくないって話」
「あのなあ! っつか、何そんなもん拾ってんだよ」
見ろよリオン、これが亡霊の化身だよ。僕らを死者の国に引きずり込みにきたんだ。
……なんて冗談めいた台詞も浮かんだが、白けた目でみられるだけのような気がして、それに不謹慎のようにも感じて、思考とは裏腹に、僕の口は
「……ぬいぐるみ」と返答しただけだった。
「見りゃわかるっつの。あんま触んなって、危ねえじゃん」
「ああ」と漏れた声は、条件反射的なもので。
リオンの手によってひったくられたぬいぐるみは、そのまま放り捨てられてしまった。
宙を舞ったぬいぐるみは、不安定な瓦礫の上に落ちる。薄い木の板が跳ねて、カタン、と音を立てた。
すると、木片が僅かに揺れて、隙間から何かが飛び出してきた。
僕らは思わず互いに顔を見合わせてから、その物体を注視した。……きっと心の中では、同時にため息をついていたはずだ。
「──ウサギだ」
こんな街で、これまで生き長らえていたのか、それともどこかからこんなところへ辿りついたのか、
出てきたのは痩せっぽちの白黒ウサギ。
きっと元々は、白いウサギだったんだろう。”雪”のようにまばらに生えた白い毛が、そう思わせる。
肉体は汚染されて、体表まで黒く染まっているのだ。
ひどく弱っていて、足を引き摺って逃げようとする姿を、リオンが両耳を掴んで、持ち上げた。
「……やっぱり。ほとんど喰われてるよ、こいつ」
無機質にそう判定した彼の表情は、フードに隠れてよく見えなかった。
やがてリオンは大きくため息をつくと、じたばたともがくウサギの耳から手を離した。
「お前に恨みはないんだけどな──」
宙に浮いたそいつの身体を、リオンが描いた霊力の光が螺旋状に追いかけて包み込む。
光は魔方陣を描き、炎へと姿を変えて、その姿を覆い隠す。
後には、腐りかけた肉が焦げたにおいと、地面に横たわる真っ黒い塊だけが残った。
はらりはらりと落ちる黒い雪に紛れてゆく亡骸を背に、そして僕らは再び歩き出すのだった。